京都西陣織物は応仁天皇の御代、大陸から帰化した秦の融通王が織法を伝えたものに始まるといわれております。
その後、幾多の興亡盛衰を重ね、生産技術の発達によって精巧で優雅な「西陣織」ができ上がりました。
また、「西陣」の名は今から約500年前、応仁の乱の時、山名宗全率いる西軍の陣地跡だから「西陣」と呼ばれるようになったのであります。
平安初期の機業は、ほとんど織部司の独占でありましたが、平安中期になって民間にその実権が移り「大舎人の綾」「大宮の絹」として発達しました。承久、応仁の乱で西陣の機業が衰退し、他地方の機業に蚕食されそうになりましたが、朝廷の保護により「紋織法」が案出され、衰退の道から脱却し、発展の道を辿りました。
その後、江戸時代「天明の大火」「天保の飢饉」より、田舎絹が進出、西陣の特権も無視され衰退することとなります。
明治時代、西陣の機業家は奮起し、他地方の発展の視察や海外(フランス)派遣などを行い、技術や機械を導入し、ようやく発展に向かうこととなり、幾多の歴史上の困難を乗り越え、現在に至ります。
参考文献 日本ネクタイ史(日本ネクタイ組合連合会著)
当社は初代、根角晃によって1940年に創業いたしました。
創業時より京都古来の西陣織の技術と伝統に、新しい技術と感覚を加えながら、当社独自のモノづくりを追求してまいりました。
原糸の選別から始め、製織技術、生地の色調や柄、縫製技術などについて研究を重ね、最高の品質を目指し製作しております。
常にオリジナリティーの追求に重点を置き、色調、光沢などにたゆまぬ研究を重ね、他にはない創造性を社是としております。
西陣織の繊細さ、光沢の良さを最大限に活かし、本当に締めやすく、日本人が最も使いやすいネクタイ作りが最大の特徴です。
このようなネクタイメーカーは日本国内で現在当社のみになっております。
二代目、根角昭光になってからは日本、海外を問わず多くのアーティストとのコラボレーションも積極的に行っております。
先代から続く素晴らしい技術を未来に繋いでいくために、締めてくださる皆さんが幸せになっていただくために日々努力をしております。
最近では根角勇輝を中心に、多くの方に本物の西陣織を様々なシーンで楽しんでいただけるようなアイテムの開発も進めております。
日本・京都ならではの温かみのある愛される商品をこれからも作り続けてまいります。
お客様の末長いご愛用をお願いいたします。
明治より大正、昭和16~17年ごろにかけてネクタイの有力問屋は「自家工場」を持ち、製織から製品加工まで一貫して行っておりました。そのため、「自社の生産設備による商品の生産」が少なくありませんでした。
しかし、戦後はこのような「自社の生産設備による商品の生産」の形態は見られなくなり、織物専門の業者に発注して生産するようになってきました。
現在の「織物ネクタイ」の生産地としては「京都西陣」「八王子」「博多」「桐生」「足利」などで、中でも「西陣」では古くからの伝統を活かし、「織物ネクタイ」の主産地として知られています。
現在は、一部の作品で写真のようなダイレクトジャガード織機を使い、製作しております。この織機はパソコンを使用しており、現代の技術を上手く取り入れ日々革新を行っております。
人と機械を上手く組み合わせることにより、より繊細に、より細密な表現を可能にしております。
また、生地からネクタイに縫製する際も職人が一針ごと丁寧に縫製しております。
このように多くの人が携わりながらネクタイを製作しています。
当社のネクタイは伝統技術の「西陣織」の特徴である光沢感、きめの細かさを最大限に活かしながら近代技術を上手く活かしたモノづくりを日々思考錯誤しながら行っています。
当社では、上記の工程図の中の【企画製紋の工程】を担っております。
そこで当社が担っております工程の内容を簡単にご説明いたします。
【企画製紋の工程】
当社ではオリジナルの柄を製作し、それに合せた色の配色を行ない、お店の方や一般のお客様に販売しております。
「他にはないもの」「オリジナリティーあふれるもの」を目指して製作しております。
このホームページは、多くのお客様に自社のネクタイを少しでも知っていただき、そして実際に手に取っていただくことで、西陣織の締めやすさや面白さなどの良さをお伝えするために開設いたしました。
当社の西陣織オリジナルネクタイの製作風景になります。
画像を製作したのが20年以上前ですので画像が荒く、音声が小さいです。
また、撮影時よりもう少し機械化が進んでいる部分もありますが現在も同じように製作しています。
人の手によって丁寧に作られていく様子をご覧ください。